1894-96年、すなわち東学農民蜂起と日清戦争の時期における朝鮮王朝内の一連の近代化運動を「甲午更張」という。中華システムからの脱却と近代化改革をどう進めるかを課題としたこの改革運動は、日本の保護国化政策の下で行われるという制約を有しながら、朝鮮近代史における重要な転換点をなした。著者は、日本の対朝鮮政策の動向、改革初期に設置された軍国機務処の組織や運営、さらに開化派官僚の改革構想(とくに兪吉濬の思想)などを検討して、単に日本の干渉と操縦による他律的なものではなく、自律的な改革運動だった側面を明確に実証する。