長男の敬吾に友だちから届いた絵葉書は、怪獣のように大きい蝉の抜け殻の写真だった。デジタルカメラを使って巧妙に作られた合成写真だ。その夜、私は、夢にうなされ、「おにいちゃん」と叫んだらしい。その夢の内容は覚えていないが、巨大な蝉の抜け殻のイメージだけは、完全に頭の中に残っていた。そして、敬吾が公園で見つけてきた蝉の抜け殻を見て卒倒した私の脳裡を、兄の顔がかすめる。蝉の抜け殻と兄と、福島にある母の実家の思い出を結ぶひとつの事件ー。心理の深層に眠る記憶が、過去の不幸な出来事を明らかにする。（表題作「蝉の誤解」）ほかに、「蟻のおしゃべり」「蓑虫の計算」「蝿の美学」など、虫の生態に材を取って、名匠が紡ぎ出した大人の男女のお洒落な物語九編。愛憎や欲望に根ざす計算、策略ー人間の営みの断面を鮮やかに切り取った、珠玉の連作ミステリー。